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#2134488 ·published 2012-04-01 12:04 UTC
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この屋上……駅なんだ……。

「この駅って何て言うの?」

「杉ノ宮北校屋上前ですが?」

あ、やっぱりそのまんまなんだ……。

私と高島さんは……小さな黄いろの電燈のならんだ車室に入る……。

車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら空きだった……。

私達はそのがら空きの席に座る。

すると先ほど北校のホームでであった男が話しかけてきた。

「それであなたはその切符を使ってどちらへいらっしゃるんですか?」

「あはは……恥ずかしながら……実は行き先とか知らないんですけどね」

「そうですか……でも“なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ”と言うので良いではないですか……」

「この汽車、大阪とか行くの?」

「そりゃもちろん……」

「でも、こんなの乗って大阪行く気にはならないよ……」

「ほら、由岐さんこれが地図ですよ……」

「地図?」

高島さんは円い板のようになった地図を取り出した。

「それ地図なんだ……」

「あれ?あなたはそれをステーションでもらわなかったのですか?」

それはまさに夜空を切り取った様な見事なキラキラと輝く石であった。

「その地図って黒曜石で出来てる?」

「はい、そうですね……この地図は黒曜石で出来ています……」

「ほら、こうやってこの地図を窓にかざすと……」

「あ……」

“まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、

またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって……”

「あの河原は月夜でしょう……」

“そっちを見ますと青白く光る銀河の岸に、銀色の空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられて動いて、波を立てているのでした。”

「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ」

車窓から顔を出してみればそこには……、

天の川。

“そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちらちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き……、

野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていた。

遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、

或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っている。”

「綺麗ですねぇ……」

目の前の男がつぶやく……少し気になっていた事があった。

「あの、その手の線は、おまじないか何かですか?」

「この手にひかれた線ですか?これは……ご主人が私につけてくださったものなんです」

「たいそう熱心なお方で、よくペンで線をひいてくださいました」

「はあ……」

人の手に、ペンで線ねぇ……おかしなご主人もいたもんだ。

「その線に、何か意味が?」

「ええ。これは……この線のひとつひとつが、ご主人にとって望ましい、私の一部なんです」

そう言って男は幾本もの線の中からひとつをそっと指先でなぞると、クスリといたずらげに笑ってみせた。

その顔はさきほどの男のもののようで、まるで別人のような顔だった。

「……“私が八十二歳にもなったことは、どっちみち許しがたいことかもしれない。それについての満足は、君が考えるかもしれないほど大きくはない」

「君の言うとおり、私は常に永続性への大きな願いに満たされ、常に死を恐れ、死と戦った」

「死にたいする戦い、生きようとする絶対的な頑固な意欲こそ、すべての卓越した人間が行動して生きてきた原動力だ、と私は信じる」

「しかしやはり結局は死なねばならないということ、それを、ねえ、君、私は八十二歳にもなって、学校の生徒のころ死にでもしたのとおなじように簡潔に証明したのだ」

「弁解の役に立つことなら、つけ加えておきたいが、私の性質の中には、子供らしさ、好奇心、遊戯の本能、ひまつぶしを好む気持ちが多かった」

「それで、いつか遊戯にも飽きるものだということを悟るまでには、かなりひまがかかったわけだ”」

何故かその記述を読み上げる、目の前の男を私は知っている様な気がしていた……。

「あなたは、どちらから来られたのですか?」

高島さんは目の前の男に問いかける。

「ええ。私はとある聡明なご主人に仕えておりましたが、ある時ご主人のもとを離れて同属のいる館に身を寄せることになったんです」

「それは、自分だけでなくもっと多くの人に私という存在を知ってもらおうとお考えになられてのことでした」

「館にはたくさんの仲間がいて、毎日たくさんのお客様が来られました」

「私を知って、驚くお方、笑うお方、泣くお方、怒るお方、たくさんのお客様と出会うことができました」

「それは、ご主人が私にくださった、素晴らしい日々でした」

「そうなのですか……あなたのご主人はあなたを大事にされていたのですね」

「ええ、そりゃもう。こうして年老いて火にくべられた後でも、気が付けばここにいることができたんですから」

「恐らくこれが、ご縁というものなんでしょうねぇ」

「手に、ふれてもいいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

高島さんは差し出された男の手をそっと握った。

「……“まじめさは時間に関係することなのだ。これだけのことは君に打ちあけておくが、まじめさは時間を尊重しすぎることから生じるのだ」

「私も昔は時間の値打ちを尊重しすぎた。それで百歳になろうと思った。だが、永遠の中には時間は存在しないんだよ。永遠は瞬間にすぎない。一つの冗談に十分なだけの長さだ”」

「あなたには、この線が読めるんですか?」

「この線があるから読めるのです。あなたのご主人が、この線をあなたにひいてくれたから」

「“作家がひと握りの人物で戯曲を作るように、私たちは、自我の分解したたくさんの部分から、たえず新しい群像を構成します。新しい遊戯と緊張と、永久に新しい環境とを持った群像を”」

「……“この発狂したメガホンは、一見この世で最も愚劣、無用、禁制なことをやり、どこかで演奏された音楽を無選択に愚劣に粗野に、しかもみじめにゆがめて、ふさわしからぬよその場所にたたきこんでいるが、」

「しかもこの音楽の根本精神を破壊することができず、この音楽によってみずからの技術の無力さ、から騒ぎの精神的空虚さを暴露するばかりだ”」

「“よく聞きたまえ、君にはその必要があるんだ。さあ、耳を開いて!」

「そうだ。どうだ、ラジオによって暴力を加えられたヘンデルが聞こえるだけじゃない。ヘンデルは、こんな鼻持ちならぬ現れ方をしても、やはり神々しいのだ」

「――そればかりでない、ねえ君、同時にあらゆる生命のすぐれた比喩が聞こえ、見えるのだ。ラジオに耳を傾けると、理念と現象、永遠と時間、神性と人間性、それらのあいだの原始的な戦いが聞こえ、見える”」

「“君のようなたちの人間には、ラジオや人生に批評を加える資格はまったくない。むしろまずよく聞くことを学びたまえ!真剣にとるに値することを真剣にとることを学びたまえ!ほかのことは笑いたまえ!”」

「そうか……そういう事か……」

男は私の表情を見てすべてを理解した……。

「私の記憶ではもっと小さかったけどね……ポケットサイズだったし……」

「そうですね……よく喫茶店に同行させていただいた記憶があります」

「あの星々の中にそびえる十字架を見てください。いつかの詩を思い出されはしませんか?」

声に応えて車窓から外をのぞけば、

“見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやきその上には青じろい雲がまるい環になって后光のようにかかっているのでした。”

“われわれはエーテルの、星にくまなく照らされた氷の中に自分を見いだした。

われは日も時も知らない、男でも女でもなく、若くもなく、老人でもない。君たちの罪と不安、君たちの殺人と好色の歓楽は、われわれにとって、めぐる太陽と同様に、見ものだ。一日一日がこの上なく長い日だ。

君達のおののく命に向かって静かにうなずき、

旋回する星を静かにのぞきこみ、

われは宇宙の冬を吸い込む。

われは天の竜と親しんでいる。

われの永遠の存在は冷たく、変化せず、

われの永遠の笑いは冷たく、星明かりのようだ。”

“汽車の中がまるでざわざわしました。”

“あっちにもこっちにも子供が瓜に飛びついたときのようなよろこびの声や何とも云いようない深いつつましいためいきの音ばかり聞こえました。

そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果の肉のような青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに繞っているのが見えました。

「ハレルヤハレルヤ。」明るく楽しくみんなの声はひびきみんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠くからすきとおったなんとも云えずさわやかなラッパの声を聞きました。

そしてたくさんのシグナルや電燈の灯のなかを汽車はだんだんゆるやかになりとうとう十字架のちょうどま向いに行ってすっかりとまりました。”

「私はあなたに出会えたことをうれしく思っています……」

「……私たちは朗らかに場所を次から次へと通り抜けるべきである」

「どんな場所にも故郷のように執着してはならない」

「世界精神は私たちを縛りせばめようとはしない」

「世界精神は私たちを一段一段と高め、広げようとする」

「私たちがある生活圏に住みついて、そこになじもうとすると、すぐに弛緩が脅かす」

「出発と旅の心構えのある人のみが、麻痺させる慣れから身をもぎ離すことができる」「あるいは死の時もなお、私たちを新しい場所へと若々しく送ることがあるかもしれない」「私たちへの生の呼びかけは決して終わるまい……」「それならよし、心よ、別れを告げよ、そしてすこやかなれ!」「ありがとう……」次の瞬間には、もう男の姿はそこになかった。

“汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。そして見ているとみんなはつつましく列を組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいていました。

そしてその見えない天の川の水をわたってひとりの神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。

けれどもそのときはもう硝子の呼子は鳴らされ汽車はうごき出しと思ううちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。”

「由岐さん」

気が付けば、もう乗客は私たち二人だけになっていた。

「あそこが石炭袋です。空の孔です」

彼女が指さした方を見る。

“天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどおんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるのかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。”

それらすべてが『銀河鉄道の夜』の記述。

そう、私達の物語は物語によって終わる。

「ここでジョバンニとカムパネルラは別れる事になる……」

「ここが彼らの物語の終着点だった……」

「はい……そうですね……」

「ならば、ここから先は、私だけで行かなくちゃいけないって事なんでしょ……」

「はい」

「そうか……そうだったんだよね」

いつから気が付いていたんだろう……。

いや、いつからという事も無かった様な気がする……その瞬間からすべてを理解していた様な気もする……。

「世界そのものの少女って……私の事だったんだね……やっぱり……」

「はい……」

「高島さんが探していた終わりとはじまりの空……」

「それは、この幻想世界の終わりの空、そして現実世界のはじまりの空……」

「高島さんは、この幻想世界と現実世界の境界線を探してたって事だよね……」

「幻想世界と現実世界ですか……それほど明確に別けられるのでしたら良いのですが……」

「ただ、私は……あなたを元の世界に還そうとしていました……」

「巻き込んでしまったあなたを……」

「巻き込んだ……か」

あの夕方のマンションの屋上。

フェンスから飛び出た少女……。

それを私は見ていた……。

「たしかに一瞬、大きな音を聞いたような気はしたんだよね……」

「落ちてくるぬいぐるみが肌にふれる瞬間に……」

「あの日の夕方……あのマンションから落ちてきたのはぬいぐるみじゃないんだよね……」

「はい……それは私自身です」

「高島さん自身が落ちてきた……」

「はい……」

「激突したわけ?」

「はい……そうなります」

「なるほどね……」

「って事はこの銀河鉄道の先って……結構つまらない場所なんだね……」

「つまらない場所?」

「だって、目覚めは病院のベッドって事になるんでしょ?」

「……それは分かりません」

「分からない?」

「はい、分かりません……」

「結構、目覚めるのは天国とかだったりして?」

「いいえ……そんな世界は存在しないと思います……」

「なら地獄とか?」

「そんな世界も存在しません」

「ここから先の世界はあなたが見知った風景……ありふれた風景の世界です」

「とりあえず……どっかに戻るんだ……」

「はい、ベガとアルタイル……そしてデネブの三つの星が輝く空の下に……」

「空の下……」

「お別れです……」

「うん……そうなるんだね……」

「ごめんなさい……」

「もういいよ謝るのは……」

「ならもう一つだけ言わせてください」

「もう一つ?」

「ありがとうございます」

「私に生を与えてくれたのは……あなたでした」

「私はずっとあなたの事を愛してました……」

「まったくご迷惑な話ですが……この世界で再び会えた事に感謝しております……」

「一人で行かなければいけない道の途中で、こんな素晴らしい時間を頂けた事……」

「あなたが幻想世界と呼んだ、この世界での生活は、私にとっては至極の記憶です」

「この夢の世界こそ、私の人生で一番の思い出となりました……」

「書き割りの様なチープで……出来損ないの夢の世界……それでも、そこであなたと過ごせた時間は、間違いなく……」

「素晴らしき日々でした」

世界は白で覆われる。

完全な白。

白しか無い世界。

それこそ、唖然とするばかりに……、

そんな世界では進む事も退く事も出来ない……。

それでも私は先に進む……。

風景が変わらずとも……それでも私は先を急ぐ……。

高島さんは……、

意地とか、見栄とか、こだわりとか、センスとか、誇りとか、

そういう厄介なものはおいていってしまったんだろう。

けれど私は、

これからも煙草と屋上とヒラヒラ服を着たいい女でいることだろう。

それが還るべき道であるならば……、

私はふと向日葵の事を思い出していた。

そしてなるほどと思った。

向日葵が供花を連想するか……、

そう言えば言ってたな……あいつ、

向日葵はキク科の植物だから似てるんだって……。

私はこの白い世界を歩いた事がある。

この道を歩くのは二度目なんだ……。

この越えられない白い世界……、

それはまるで向日葵畑の先にあったあの坂道の様に……、

「私が望めば存在するか……」

私は白い世界ですべてを思い出していた。

きっと夢から覚めたら、いろんなことを忘れちゃうんだろうな。

だけど、

この白き無限回廊の先を私は目指す。

「世界は器……」

「器を満たすもの……それは」

私は私が得た真理を胸に……白い部屋から出る。

幽霊ごっこは終わりだ……。

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